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ツイートに添付された写真はどう吸おうか?

ツイッター関連のちょっとした物をつくることになったに際しましてちょっと調べ物

あるハッシュタグにひもづけられたツイートを引っ張ってくるのは問題ないとして
さらにそれらのツイートに添付されている写真はどうやって取ってくればいい?

ツイッター自体には写真を投稿する機能はないので各々外部のサービスを組み合わせて投稿している
たとえばtwitpicとかtweetphotoとか百花繚乱

まっとうな方法は各サービスはAPIを提供してるみたいだからそれぞれ読んで実装すればいい
だけどさめんどくさいよ一つに統一してくれればともかく

なのでサイトから無理やり引っ張ってくること考える
これだったらちょっとhtml読んでなんとなく実装すればいい

ちょっと調べてみるとimg要素は以下のように埋めこまれている
まずtwitpic

twitpic.com
<img class="photo" id="photo-display" src="ほげほげ" />


なのでjqueryとか使えば以下のようにして写真のimg要素にアクセス出来る

//jqueryで写真のsrc取得
src = jQuery('#photo-display').attr('src');


tweetphotoの方も見てみると

tweetphoto.com
<div id="photo" style="position: relative;">
    <center>
        <img src="ほげほげ" id="medium_photo" name="medium_photo" alt="">
    </center>
</div>

center要素とか懐かしいですねえmedium_photoというのもなんとなく心配ですがidということになっているのであてにして

//jqueryで写真のsrc取得
src = jQuery('#medium_photo').attr('src');

APIをちゃんと使うのと比べてもとくにデメリットはないと思う
サイトの構造が変更されれば修正かけないといけないけれどAPIもたいていかわるし
あとはjsonかxmlかhtmlの差だけ

とりあえずこれでやってみる

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「甘い」以外の何か

昨日のドイツvsアルゼンチンにがっかりしています
もうすこしましな試合が観たかった

メッシが滅私てもチームとして彼を活かすような仕組みがなかったね
彼を囮として使うような方法があれば相手はだいぶ困ったはずなんだけど

グループリーグまではメッシのワンマンチームだって思わせておくというマラドーナの作戦だと思いたかったんだけどなあ

というわけであまり何か書く気がおきないんですが
とりあえず書き始めます

この時期我が家はさくらんぼです
常に食卓にさくらんぼが置いてあります
もう20年ぐらいずっとじゃないかな

ことしのさくらんぼはあまりいい出来じゃないです
あんまりあまくない
贅沢なこと言ってますな

出かけた先にさくらんぼよく持って行きますが
まちがいなく喜ばれますね
佐藤錦は宝石だって言われ方することありますが
相手の反応みても本当にそう思います

指にさくらんぼはめてあげますのでどなたか僕と結婚してくれませんか?

全然面白くないなあ
いつもどおりか

あれ、何書こうと思ってたんだったけか?

そうそう、今年のさくらんぼはあまり甘くない
でもね僕はあまりにも甘いとね
確かに感激はするんだけどそのあと何か罪悪感に駆られるんですよ
こんなに甘いものを食べてていいのかと

だから今年のさくらんぼの甘さはちょうどいい
甘くてちょっと酸っぱい、のんきに食べられる
後ろめたくなく食べられる

なぜ甘すぎると僕は罪悪感を感じるのか?
ということをこのあと解説するわけじゃないです
そんなのどうでもいい
書いてると憂鬱になりそう

さっき妹がキュウイを食べていた
おふくろが尋ねる甘い?って
妹、甘いよって答える
さくらんぼも食べてる
キュウイが甘すぎてさくらんぼが甘くない、って

スーパーの果物売り場では糖度表示が当たり前になってる
いつからなんだろう?

こうなってしまっていると農家さんも甘さを追求することになるのだろう

ここ何年か随分いろいろな農家さんと出会ったが
野菜は無農薬で作れるが基本的に果物はむずかしいらしい

でもそれって不思議だよね
なんで難しいんだろう?

もうここまで言ってくれば僕の言いたいことはわかると思うけど
難しくさせてるのは果物が甘すぎるからじゃないか
甘さという価値観しか持てなくなっているからと言い換えてもいい

肥料をあげすぎると虫が来たり病気になったりしやすくなるんだって
どうやって甘い作物つくるのは知らないで書くんだけど(おいおい調べてからかけよ)
光合成で作られる糖分の量は人間がコントロールできるとは思えないんだよね
(あるとすればそういう品種をつくるというのはあるかもしれないけれど)
そうしたら土から吸わせるしかない肥料ということになる

僕が甘すぎると思うように自然もそう思う笑
あれだけ局所的に甘さが存在するというのは不自然、自然の摂理に反するんだ
だから散らそうとする
鳥が食べに来たり菌が病気を引き起こして分解しようとしたり実を落ちやすくさせようとしたり

そうそう、肥料が過剰な野菜はほっておくと腐るんだ
腐るというのも自然の循環の一部だから自然からすれば正しい
(肥料が適切であればただ萎びる、微生物たちも無視する)

(川とか池行ってヘドロ臭くても臭いねーやだやだで思考をとめないでよ!彼らからしたら当たり前のことをやっている元に戻そうとしているだけなんだから)

野菜が無農薬で作れる(無農薬で作っても商売になる)というのは
野菜には果物におけるような甘さといった絶対モノサシがないからじゃないかと

よくこのキャベツ甘いね!って言い方があるけれど
たしかに甘さを感じるけど糖度表示を始めたらキャベツも無農薬では割に合わなくなるかもしれない

(ただし一方でそれぞれの野菜にも何がしかの指標があれば作り方を工夫している農家さんの野菜が一緒くたにされずにちゃんとそれ相応の値段がつく道もできるかもしれないけれど・・・そんな指標の可能性ってあるかな?これもやはり危険な道か?)

あ、そうだトマトは確か糖度表示してたっけ?
うちのおふくろもそういえばよく、このトマト甘いよっていってるなあ

しげファームのトマト、ブルーベリーを食べてみろ!
あまいとかおいしいとかそんな言葉しか出てこない自分にがっかりするから!
っていうかみんな一度そういう経験してみろ!

口にふくむまでの香り
口に含んだ瞬間の触感
噛み心地
最初の味わいから飲み込むまでの味の調べ

全然うまくかけないけど
とにかく食べ始めてから食べ終わるまでその一連それぞれが決して無視できないのだ
この状態を本当の美しい味、美味しいというんだと思う

たべてすぐ、美味しいとか甘いとかそんな言葉を発してしまうような客観的な状態に置いてくれない
ただただぼーっと浸らざるを得ない

そこから目覚めた結果としてはやはり
甘いとか美味しいとかしか言いようがないんだけど
あえて言えば食べてるんだけど小説を読んだような音楽を聞いたような感じ
物語があるんだ
そしてねどんなふうに作ってるんだろうって農家さんに想いを寄せたくなっちゃう

わざと甘さを抑えて作る
肥料へらして農薬減らしてコスト低下を図る
甘い以外の何かを引き出す

このことをちゃんと理解してもらうようにやはり直販になってしまうね
でも一度ファンになってくれたら他には浮気できないだろう
他にはない味なんだから

甘さを追求しすぎないあたりに利益(って金ね)を最大化(5年とか10年とかの長めの時間平均で)できるポイントがあるんじゃないかと
自然とのガチ勝負はさけてある程度のところでやめておく
この中でその土地にしかない味をちゃんと探してね
(可能な限りそれを言語化したり良い使いどころも探して説明できるといいね)
余力は販売の方に振る(良い加工品つくるのもももちろん必要だね)
(そうそう昨日の試合は良い教訓じゃないですか)

ここまで書いてきて
種なしぶどうはみんな同じ味になっちゃう、っていうくだりが胸に刺さるね
同じ味ということは甘い甘い競争しかないんだよね

種なしぶどうを発明した人はいまはどう思っているんだろう
そのときはすげえこと見つけちゃったよーって思っただろうけど
僕だったら小躍りして飛び上がると思う笑
(このへんは科学における進歩とかそもそも進歩って何を指してるんだろうとかはたまたそもそも科学とはなんだろうかとかいろいろあるんだけどまたいつかどこかで)

すいません!
僕の初恋の甘酸っぱさを思い出させてくれるさくらんぼと
定石を”ていせき”って大きな声で読んだ時の渋さがほのかに漂うぶどう
お相撲さんに体当した時のびくともしないなかにも温かさと柔らかさを感じる食感の柿をください!

今日長いよ
つかれた

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キムチ冷奴 ザルうどんおろしをそえて 小松菜なめこと油揚げ

うどんの上に乗っているのはミント氷です

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種がないとみんな同じ味になっちゃう

先週の土曜日、山梨のぶどう園に手伝いに行ってきました
山梨くだもの園なかむらさんです

摘粒というぶどうの房をつくる作業をしてきました
作業の前に代表の中村仁さんから説明を受けました
20分あまりの説明ノーカットでお送りします

簡単に要約をつけておきました
(背後でぱーんぱーんって音がするのは鳥よけのためのものです)

巨峰の房はこんなに長くなる
一度肥料を切らないと大きな実をつけない
(実家住まいで自分の給料全部自分で使えたらなかなか結婚しない)

種なしぶどうを作るためのジベレリン処理
ぶどうは種がなくても実を落とさない(普通は落ちる)
種がないと実を太らせない、ここでもういちどジベレリンを与えると実を太らせる
種なしを作るために余計な作業をいっぱいするようになった
種がない植物は本当は美味しくない
種なしを作っていなかったんだけれども種なしじゃないと売れなくなった
種がないと味がみんな同じになっちゃう
種こそ個性を発揮するもの
みなさん、ぜひ種ありのぶどうを食べて欲しい!

種がないと脱粒しやすくなるので摘粒してぎゅっとした房を作る
粒か綺麗にそろっていることが大事だと思っていない
なるべく農薬が少なくておいしいものが作れればそれでいい

「うちの連中(若いスタッフや研修生のこと)が房作りすると大きいのがあったり小さいのがあったり・・・」っておっしゃっているときの表情が印象的、喜んでる?笑

房が揃っていることが大事だと思っていないと言い切る社長
でも種なしが幅をきかせるようになったのと同様、房が揃っていたほうが良い値段がつくのでは?

なぜ社長はそう言い切れてしまうのか!
それは次回、「くだもの園なかむらの仕組み」で解き明かされる!
乞うご期待!

(いかん、煽り過ぎたかも、あんまり期待しないでください)

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ともちゃんといえば

焼肉を食べながらTちゃんから尋ねられる
あの文章ってどっから出てくるの?

さあ、ぼくもわからない笑

でも文体ということであるならばヒントはあるかも
やっぱりどんな文章を読んできたかというのが大きいだろうし

僕が集中して大量の文章を読んだのは大学時代だと思う
それまではあまり本を読む習慣もなかったから

どんなの読んだかというと数学とか物理とかの専門書
それも翻訳ものばかり
今すぐ思い出すところだとランダウとかキッテルとかジョージアルフケンとかゴールドシュタインとかJJサクライとか
原書で読めばいいんだけどやっぱり訳書に流れちゃうんだよねえ笑
当時はアマゾンもなかったし原書を手に入れるのはお金も時間も余計にかかったせいもあるけど

あるときねふと感じたんだ、朝永振一郎の量子力学を読んでいるとき
なんかねほっとするんだよ

なんでだろうなんでだろうって
でもすぐ思い当たった

この本は日本語を母国語とする人が書いた本だった!ってね
しかも彼の言葉の選び方はとても丁寧なんだ
漢字の熟語ですませない
これらって結局訳語じゃない?
アルファベットを漢字に置き換えただけ
染みてこないんだよね

いくつか引用してみようか
第一巻序文冒頭

本書はあまり急がないで量子論を勉強しようとする初学者のために書かれたものである

第二巻序文

第二巻は第一巻にくらべると、物理がよりうしろにかくれたようにみえる

序文からちらっと引っ張ってきただけだけれども、しびれるねえ
(しびれない?そうなら解説するから連絡ください)
ともちゃん最高!

当時ともちゃんといえば一般的には華原朋美だったけれども僕たちの中では言うまでもなく朝永だよ!

この本が書かれたのは1951年もう半世紀以上前
僕にとって朝永はスターだしどこかで支えの一部になっているとおもう
でもこれはちょっと困ったことでもある
僕が教わっていた大学の先生達にとってもスターは朝永なのだ
2世代にわたって同じ世代がスターとして扱われる

未だに王・長嶋が幅をきかせるようなものだから
50年後もイチローがスター扱いされていたとしたら野球は遺物になっているだろう

これは日本の物理学界の衰退を意味するのか?
いやいやそんなもんじゃすまない
20世紀的な枠組みをまだ忘れられずに引きずっていることなのだ
それじゃだめだとはもう十分わかっているのにもかかわらず

中田の亡霊と俊輔に引導を渡した本田
もしも4年後も本田本田と騒がれるようだったら日本は一つも勝てないだろう

第二巻序文後半

一見とっぴょうしもない考え方を強いられることによって、常識的な考え方を変える訓練を一度経なくては、それよりなおむずかしい量子の本質の真の理解はできないのではなかろうか

カズは4年後もワールドカップを目指しているだろう笑

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長いのか?短いのか?それが問題だ

もうずっと言われてるんだMには
あなたの文章はダラダラ長いと
もっと短くすっきりって

これでもずいぶん短くしてるんだよ
そう意識しなかったらたぶん書き終わらない
まあ書き終わらないところで公開してしまうというのもひとつかも知れない
絵巻物みたいにずっと続くの
ウェブだったら無限の絵巻物ができるね

でもいまはそういうものを作る気になれない

Mにはいろいろ見せられる
たとえばこういう感じだよ!って
でもね全然しっくりこない
僕の文章のほうが全然おもしろいとおもう
やっぱり本当に申し訳ないけど僕は天災いやてん菜いや天才だなって思うんだ

昨日一緒に焼肉を食べたTちゃんには
いや、もっと長くていいよ!

そうなのか
そうなのか

こう言われたことをMに伝えると
それは少数派の意見だよ!
だそうだ

岡田監督は一度、メディアが言うとおりの選手を使って試合に臨んだことがあったそうだ
でもやっぱりうまくいかなくて自分の思うとおりやろうと思い直したそうだ

僕も自分の信念のみにもとづいてやっていこうと思う
ベスト4目指して

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肉納め

昨日は焼肉食べた
今年はじめての焼肉
そして今年最後の焼肉
肉とビールとキャベツしか食べなかった
肉は確かに美味しかった
これだけの肉をつくるのにどれほどの穀物が必要なのか頭の中で見積もりつつも

今朝は下腹部がなんとなくおもかった
すかさずトイレに

今朝のう◯こさんはちょっといつものう◯こさんとは違った
どう違うのか具体的に描写せねばという義務感にかられたけれども
う◯こさんを凝視することはできなかった
すぐにでもシャワーを浴びたかった
まだ体から焼肉のにおいがするようなきがしたから
僕も執着心が足りないようだ

そのお店は山の上のようだと思いたかった
白い何かが立ち込めていた
水蒸気・・・じゃなかったやっぱり
店内に入るやいなや目がいたい
こんな中でも凛と肉を食す女性が何人もいた

世界と戦えるのは彼女らしかいない!

僕は引退します
俊輔と共に

ではみなさん
良いお肉を!

ヒレ肉

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肉!

今日は半年分の肉を食べました
冥土の土産になりそうです
肉

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まだしっくりこないこと

5月からイーバンク銀行が楽天銀行に変わった
なんか落ち着かない
違和感がある

円天のせい?笑

確かに僕はあまり楽天は好きじゃないんだけれども

なぜすきじゃないか
楽天のやり方が気に入らないというよりも
やっぱり”楽天”という名前自体があまりにも脳天気過ぎると感じるのだ
お金を預けたり取引したりすることをあつかう会社には相応しくない感じがする

“楽天”には、過程において多少の齟齬、行き違いがあったとしても最終的に帳尻があってればまあいいじゃない的な香りがする
この考えはたぶんにインターネット的でそれなりの有効性(経済的、割に合う)も証明されてはいるわけだけれど

それにしても蒸し暑い

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ボランティアにくる高校生は別人類にみえる

アースデイマーケットはボランティアで支えられています

ボランティアには様々な世代の人が参加されています
下は高校生から上は還暦近いぐらいの方まで
年々世代の幅が広がってきている

昨日も某高校のボランティア部(こんな部活があるんだね)の皆さんが大勢で参加してくれた
ありがたいです
と同時に自分の高校のときのことを考えると彼らの存在をどう理解したらいいか・・・

僕の中高時代の週末

昼ごろ目が覚める
起き上がらずに布団のなかでもぞもぞ
オナニーしてようやく起きる
しばらくぼーっとして飯食う
飯食うと眠くなるので寝る
夕飯できたと起こされる
夕飯食う
テレビ見る
オナニーして寝る

こんな感じ

その高校生たちは朝早起きしてボランティア活動に勤しむんだよ
アンビリーバブルだよ

手伝いにきてくれてありがたいんだけど
そんなことしなくてもいいんじゃないかともおもう

ともかく自分の感じたことを大事にしてほしい
気持ちいいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、旨いとか不味いとか
こういう事忘れないでだいじにずっと持っていて欲しい
正しいとか善とか悪とかってのはだいぶ怪しくとても難しい

体が受け付けないことは結局できないからさ
仮にそれがどんなに儲かることだとだとしても
仮に世間がそれは立派なことだねーって言ってくれたとしても

そう、ボランティアの方には謝礼としてrという地域通貨をお渡ししています
ボランティアをベースに何事かを継続的に組み立てるというのはむちゃくちゃ難しいことです
以前の話にも絡むけど暴力吸収装置のひとつとして地域通貨を使っているわけです

なにかでチラッと読んだんだけど
奉仕というのは、してあげるものではなくてさせていただくものです
と言っている人がいた

そもそもの話しとしてボランティアってのが何を指すのか
言える状態でボランティアしてる人はどれぐらいいるのだろうか

実は地域通貨という形で対価を渡してしまったら厳密な意味ではボランティアと言えなくなるんだよね

ボランティアを募集して受け入れるというのはやっぱりどこかでズルさがあると思うんだ
だから僕は彼らを頼りにしているんだけどアテにはしないようにしてるんだ
こういう言い方もズルイかもしれないけれど