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たとえの功罪

綾瀬はるかの唇は魅力的だと思います
今週号の週刊プレイボーイの表紙

今日は坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンだー!
って気づいたときにはすでに終わっていることについて考察しないといけない(そのうちやる)
聞ければ大爆笑できる番組なのに月一回ぐらいしかありつけてない
なぜだろう?

前提:
たとえはたとえである以上そのものと何がしかの意味合いで同じであるはずだけれども絶対それ自体ではない
複雑なことを理解するのは難しい
単純なことを理解するのは簡単

説明を受ける側:
そのたとえが本来の事柄自体を理解するのにどれほど適切かということを
そのたとえを聞かされる彼らは決して判断できない
そのたとえ自体が彼らにとってはうまかったり分かりやすかったりすることと
その事柄自体をどれだけ理解できたかということは関係がない

説明する側:
そのたとえの適切さは彼らが考慮するほかない

説明を受ける側の気持ち:
分かることよりも分かった気にさせてくれることを欲したくなる

説明する側の気持ち:
極力説明を本来から離れずに尽くそうと思えば思うほど
説明の段階が増えて複雑になってくる
自分のほうが何かを知っているんだ、ということを思い知らせたいと思うことから自由になれない
説明が下手だと思われたくない

現時点での結論:
絶対的に理解するということは原理的に無理で、その上で
理解しようとすることを最後まで放棄しない(途中で休んだり、一時的に投げ出すことはOK、というかむしろ必要)姿勢を
取り続けることしか出来ない

ということを双方が理解している限りにおいて

テキトウなたとえで
分かった!
と思わせることは罪じゃない

その分かった!はあくまでその時点のスナップショットにすぎないけれど
彼が自力で登っていく活力になるから
分かったと思わせてくれた相手から愛情と伝統を引き継ぐことになるから

たとえとはたとえれば建物を建てるための足場
建物を建てるのはあくまでもあなた
建物が完成すれば足場ははずす

完成した建物に増築したくなればあなたはもうじぶんで建てられるはず
新しい足場を自分で組んで

綾瀬はるかとちゅーした人
彼女の唇について教えて欲しい
マシュマロのようはなしね
ぼくマシュマロきらいなんだ